SINCE 1985

News & Topics

ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29

3.ウールを製造加工する人々(3)

藤井一義 (マネジメント・コンサルティング取締役)

3.イギリス商業資本の活動

(2)「毛織物商」の生い立ち(続)

 14世紀末から15世紀にかけて都市や農村のあちらこちらで社会体制が次第に破壊され一般庶民の間に動揺がひろがっていく中で、毛織物商は主要都市に新設された毛織物市場(Cloth Hall)を舞台にして毛織物の国内取引や都市か近郊での小売営業を営むことができる特権が与えられ、「毛織物商組合」というカンパニーの構成員として市場参入することになりました。
 しかしながら毛織物の国内取引はまだまだ成熟していない市場であった上に、従来からほとんどの取引が羊毛商のようなギルド商人やイタリア、ドイツ等の外国商業資本の手で牛耳られてきた関係で、生産業者から毛織物を買い付ける購入面では旧ギルド組織と競合し、一方毛織物を販売する面では豊富な資金と強力な輸出販売市場をもっている外国商業資本と真正面からぶつかって競争しなければならなかったのです。

 したがって毛織物商は公認の新設市場で取引活動が公認された新興商人ではありましたが、実際の商業取引では旧体制で凝り固まった先行者の蔭に隠れて実力を発揮したり存在が認められるには相当の時間と忍耐が必要でした。
 しかし毛織物商は重商主義政策にそって羊毛輸出から毛織物輸出に転換する目的で毛織物の国内市場を作り上げてゆかなければならない役目を背負うことになったのですから、廉価で良質の毛織物を供給できなければ存在価値がないわけで、その意味では国内市場における彼等の活動基盤はすべて毛織物工業の成長の上にあったのです。
 このような事情で、毛織物商は羊毛商をはじめ他のカンパニー商人たちと複雑に組み合いながら、まず何をおいても毛織物の国内市場を優先的に建設しようとする努力を重ねてゆき、後世マーチャント・アドベンチャラーズ組合や東インド会社のようなイギリスの世界貿易システムを構築する基礎づくりの役割を果すことが出来たのです。

(3)「工業村落」の成立

 (註1工業村落参照)
 14世紀末頃から15世紀前半にかけて毛織物商にとっては非常に重大な試練の時がやって来ました。
 中世都市に続いている狭苦しいギルド体制からはみ出した職人達(主に織布業に携わる「日雇い職人」や「小親方」たち)が農村に流れ出し、一方農村では封建制土地制度の崩壊によって荘園や所有地を追われた農民群の一部が合流して、小規模ながら毛織物工業(小さなマニュファクチャー)を営み、このような毛織物生産者達が農村の全域にわたって急速に展開してゆく情勢となりました。
 さらにこの展開の様子を細かく見ると、比較的多くの小規模の毛織物生産者達を取り巻くような格好で少数の他業種の手工業者達(例えば鍛冶屋、大工、皮革職人、金属加工職人など)も加わり、これらの商品生産者達が主な住民となっているいわば「工業村落」が農村地域のあちらこちらに群生して来たのです。
 そして数個の「工業村落」がお互いに連携しあってその中心となる村落で毎週「市(いち)」を開き、農民も職人も自分達の生産した商品を持ち寄って取引を行い、穀物、羊毛、毛織物、金物などをはじめ日用必需品を相互に調達しあって、一応経済的に自給自足ができる「工業村落群」が生まれてゆきました。そしてこれらの「工業村落群」同士がさらにつながりますと、そこには生活圏と工業圏とが合体したひとくくりの地域産地(経済圏)が形成されることになったのです。
 このように自然発生的と言ってもよい形で連携された「工業村落群」で出来上がった経済圏は「局地的市場圏」と呼ばれ、従来の中世都市に対立する農村と言った関係や機能・性格が全く違った市場圏でした。
 先ず「工業村落」が本来持っている自給自足の経済的機能をそのまま維持しながら、地域的に重なり合ったり統合されたりして「局地的市場圏」が出来上がっていったのですから、この市場圏には当然自給自足の経済的機能が備わっていました。したがってこれらの「局地的市場圏」がつくっているイギリスの国内市場は、他国の種々雑多な業態や機能を持った地域経済圏を総括して国内市場と呼ぶ場合とは相当違った特性を持っていたわけです。
 このような農村地域での毛織物工業を中心とする急展開に反して、中世都市では商品生産者や一般庶民が郊外へ農村へと逃避していったため人口は減少し、勢い商業にしても工業にしても衰退して行かざるを得ませんでした。
 さらにこの「工業村落群」から成る「局地的市場圏」の中では、住民の日常生活や生産活動にとって不自由しない商品や貨幣の流通が行なわれる上に農地耕作者であろうが商品生産者であろうが自分の仕事をするのに何も区別されることはありませんでした。とくに毛織物生産者にとってはギルド組織や封建制度による束縛や強制を全く受けない、逆に言えば『営業の自由』が常に確保されているところで仕事ができることが最大の魅力で急速な発展を遂げてゆくことになったのです。

(4)不況と国内市場


 工業村落群で構成されたこの局地的市場圏では商業活動も工業活動もその市場圏の中で一応完結してしまうことになります。例えば羊毛のような原材料は工業村落内に住む毛織物工業(小さなマニュファクチャー)の中でほとんど消費されてしまい、穀物や農産物も工業村落内の住民によってほとんど消費されてしまう結果、市場圏内の諸地域間で流通する商品量が非常に少なくなってきて生産物を取り扱う商業活動もすっかり停滞してしまうことになったのです。
 結局15世紀に入ってから一時的ではありましたが国内取引も海外貿易もひどい不況状態に陥ってしまいました。実際問題として羊毛の輸出が止まって南ネーザーランドの毛織物工業が操業混乱を起こしたり、穀物の流通が止まって大都市ロンドンでは食料輸入を行なわなければならなくなったほどの影響を及ぽしています。
 当時個人財閥として有名な大商人が破産し、外同資本も退却して多くのギルドが解体解散したりして、新興商人であった毛織物商を含む中世都市のギルド商人にとっては旧体制を断絶させるほどの大不況が襲ってきたのです。
 しかしながら都市を中心としたこの不況をよそに、農村では依然として工業村落が展開され、次第にこれらの工業村落がまとまって新しいタイプの町(オープンタウン)すら建設されるようになりました。もちろん自営農民やマニュファクチャー所有者の小さな親方達(彼等を総称して「中産的生産者層」と呼びます)の活動はますます旺盛になり毛織物の生産は加速的に上昇してゆきました。
 人口流出や商業取引が衰退してしまっていた中世都市もこのような農村での毛織物工業の繁栄に支えられ、毛織物の仕上げ工程等の委託加工や毛織物の商業取引を中心にして再び盛況を取り戻すことができるようになりましたが、結局この不況を転換期にしてイギリスの国内市場における経済活動は旧制ギルド支配の都市主導型から「中産的生産者層」を中軸とした農村主導型に主流を変えぎるを得なくなったのです。 (註2オープンタウン参照)
 多くの旧制ギルドが解体したために商人達の先頭に立つことになった毛織物商は、元来毛織物工業の生産を活動基盤としている以上、農村で活躍する「中産的生産者層」を取引の対象にして国内取引や輸出需要に適合した形の毛織物市場を新しく作ってゆくことになりました。しかし不況を契機にして彼等はかつて封建制や旧制ギルドが支配してきた毛織物市場には別れを告げて今や国民的規模に発展しつつある毛織物工業をニューリーダーとした新しい市場、つまり常に『営業の自由』が確保されている国内市場を新しく編成してゆく協力者となったのです。

註1:工業村落:大塚久雄著「歴史と現代」:朝日新聞社発行朝日選書143P67参照

註2:オープンタウン:大塚久雄著作集第5巻資本主義社会の形成2.:1.局地的市場圏参照

 中世都市が中世以来の特権に基づくギルド制で支配されている自治都市(corporate town)であるのに対して農村(country)はその自治権が及ばない地域を総称しています。オープンタウンとは14世紀に入ってから農村で自治都市のギルド制の支配を嫌った職人達や封建制による荘園(マナー制度)の規制を逃れた農民達が入り混じって自由に営業のできる町(農村都市:country town)として作ったものです。中世都市のような城壁に囲まれたわけでもなく田園の街道沿いに住民が思い思いに軒を連ねて文字通り規制や拘束を受けずに自由な雰囲気にあふれた、いわゆる『開かれた』新しい町作りを行なったものです。

4.イギリス商業資本と毛織物生産


 羊毛商や毛織物商は商業資本として常に二つの面を持ちながら活躍していました。対外的には貿易業者として広く海外市場を対象に羊毛原料や毛織物を販売し、やがて世界の頂点に立つところまで発展を遂げましたが、対内的には毛織物を国内市場の商品生産者から購入する商人として毛織物工業をイギリスの輸出工業の代表にまで位置を押し上げたのです。
 このような二つの面を持った毛織物商達の行動様式を総合すると、まさしくイギリスの経済政策の根幹となっている重商主義の具体的なイメージが私達の眼の前に浮かんできます。彼等は国内市場の中にある輸出工業としての毛織物工業を振興するために毛織物の販路となる海外市場を獲得し、同時に広い海外市場の中で国内の輸出工業のための原料市場を確保しました。例えば羊毛、綿花、銀、銅などがそれにあたります。
 結局彼等の掲げた重商主義政策は国内の毛織物工業の繁栄が直接の目的でこの繁栄を通して国内市場を活性化し国民経済力を高めてゆくことが終局の目的だったのです。
 しかしながら毛織物商をはじめ多くの貿易商人達が当時未だ成熟していない国内の毛織物市場の中で、ウールを実際に製造加工して毛織物を作っている職人や手工業者達とどのような交渉関係を持ちながら毛織物を調達したかを見ることによって、結果として重商主義政策がタイムリーに成功し国内市場が完成された史実の背景となっている事情の中にうかがえるイギリスの毛織物工業と商業資本の特質との関係を確かめることにしたいと考えます。

(1)毛織物取引の実態

 (註1文献資料参照)  14世紀前半期の頃、まだイギリスとしては羊毛輸出が支配的で毛織物輸出への転換政策が行なわれる以前の段階で、イングランドで一般的に行なわれていた毛織物の取引を見ると、羊毛原料商はまず牧場へ出かけて羊毛を買い付け国内市場や海外市場へ販売するのが主要な仕事でしたが、その傍ら多くの家庭労働者や職人に羊毛を前貸し毛糸や毛織物(未仕上げ反)を製造させた後、出来高に応じて工賃を支払いました。
 そして毛織物(未仕上げ反)をそのまますぐ海外市場へ輸出するかあるいは国内で委託加工賃を支払って染色、縮絨、仕上げをさせた後、輸出ないし国内販売することによって利潤をあげるのが通常の仕事だったのです。

註1:毛織物取引の実態資料:大塚久雄著作集第3巻論文:農村の織元と都市の織元(P355)における諸資料参照

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニ ー(IWSマンスリー連載より)






Copyright(C) 2002 2011 "BestWoolClub" All Rights Reserved.