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Ⅵ:ウールとアメリカの人々

6:“古き良き時代”のカテゴリー制

藤井一義 (マネジメント・コンサルティング取締役)
 あの悲惨な大恐慌と二次大戦が終って世界に平和がもどってきた頃から、1965年北爆とともにヴェトナム戦争が泥沼状態に入り込もうとする頃までの約20年間は、パックス・アメリカーナの輝きが最高潮に達していました。私達はこの時期を20世紀におけるアメリカ合衆国の“古き良き時代“と呼ぼうと思います
 二次大戦終結(1945年)の後も東西冷戦構造による国際的緊張を背景にして鉄鋼、繊維、自動車、家電からコンピュータヘとアメリカの諸工業は目覚ましい発展を遂げ、いよいよ合衆国は「偉大な社会」の建設に向かって発進しました。
 この期間自動車工業とともに既製服工業は消費市場の先端に立っていました。世界の人々は平和の輸出に活躍しているアメリカの人々の姿を見、多くの救援物資に手を触れて、世界で最も近代化の進んだ衣料工業の存在を改めて認識しました。
 当時既にアメリカの繊維工業が天然繊維と人造繊維を総合して衣料非衣料のあらゆる分野で技術革新と新製品開発に向かって進んでいることを知ってなお一層愕然とした想いにかられたのです。
 「出来栄え」の良い紳士服をつくり加工度を高めることと同時に、出来るだけ大量に安く紳士服をつくり生産性を上げることに懸命な努力をしながら、長い深い不況期を克服してきた紳士用スーツメーカーが“古き良き時代”までに達成していた業容の実態はどんなものであったか。
 さらに“古き良き時代”の中で他産業がそれぞれ眼を見張るような技術革新を遂げ、際限なく伸長してゆく消費市場を前にして、紳士用スーツメーカーがどのような対応を行なったかを検証しながら、アメリカの紳士用スーツメーカーの歴史的な位置付けを総括してみたいと思います。

(1)“古き良き時代”のニューヨーク


 レイバーデイの翌日マンハッタンでは五番街をはじめ目抜き通りに並ぶ小売店舗の「たたずまい」が一変してしまいます。 (註1参照)
 スーツやコート等の衣料品、帽子、靴、ハンドバッグやネクタイ等の服飾関連商品を販売する小売店舗が一斉に秋冬用新製品の陳列に切り換え、それぞれ精一杯の「よそおい」をこらして顧客を迎えるのが“占き良き時代”の恒例でした。
 インディアンサマーの焦げつくような熱い日差しが街角のショーウインドーに照りつけている中を五番街やアメリカス街を行き交う市民達は、秋冬用スーツの新しい色柄やスタイルとの調和を楽しみながら、やがて颯爽と街路を走るであろう新車の色やスタイルを思い浮べて熱い視線を新シーズンの正札価格に注ぐのです。
 9月第1週から繊維関係のビジネスマンは翌年度秋冬用の織物を既製服メーカーに販売する契約期を迎えます。彼等は常連の顧客になっているレストランで、あわただしくランチをとりながら来期の流行色や価格動向についての情報交換を行って販売計画の実行案を胸に描くのです。
 かつて既製服工業のナショナルセンターと呼ばれたニューヨーク市の“古き良き時代”は、レイバーデイの翌日を起点にして一斉に小売店舗からオフィスやレストランまでが一年で最も活気の溢れる時期に入ってゆきます。

(2)“古き良き時代”の既製服生産


 大恐慌発生(1929年)から“古き良き時代”までのアメリカ合衆団の個人可処分所得と消費者個人支出に占める「衣服費」の推移を見ると (註2)

1.:可処分所得と消費者支出は恐慌時をピークに急減し1933年どん底に達して1941年ようやく原状復帰しています。それ以降は両方とも急速に上昇して“古き良き時代”を迎えることになりました。


2.:消費者支出のうち「衣服費」は可処分所得や消費者支出とまったく同様の傾向をたどり1933牛のどん底は恐慌時の半分以卜に落ち込みました。したがって原状復帰は1942年まで待たなければなりませんでした。

3.:1942年以降消費者支出のうち、婦人子供用の「衣服費」は紳士少年用に比較して格投に増加し、1961年現在(“古き良き時代”)婦人子供用に対して紳士少年用は実に58%に過ぎない低い状態のまま推移しています。

 婦人労働の社会進出は恐慌以前からアメリカ市民社会の大きな特長でしたが、恐慌によってさらに一層積極的になり可処分所得の増加に頁献しました。
 特に1942年以降婦人子供用の「衣服費」支出の急速な増加は彼女達や子供達のための既製服生産を飛躍的に上昇させる大きな牽引力となって今日まで続いています。
 既製服工業の伝統的代表として紳士用スーツメーカーの生産者数を見ると、消費者支出のうち紳士少年用の「衣服費」が恐慌時の原状に復帰する前、既に1939年現在2470万着に達しています。 (註3参照)
 ところが“古き良き時代”に入ると横這い状態が続き、1963年現在2160万着とむしろ減産傾向がみられ、1970年代に入って急速に後退して今日なお低迷状態が継続しているのです。したがって“古き良き時代”の紳士用スーツ生産は今世紀における最後の絶頂期を迎えていたといえます。

(3)紳士用スーツメーカーのカテゴリー制


 紳士用スーツメーカーの多くは伝統的に北東部に集中していましたが、南部中部等の諸州に散在する企業までを網羅し労使双方とも組合組織を作って「カテゴリー制」を採用していました。 (註4参照)
 カテゴリー制は紳士用スーツメーカーの歴史的背景、資本構成や経営形態とはまったく別の企業分類として設定された独特の制度でした。
 紳士用スーツメーカーが行なっている生地の裁断−縫製−仕上げプレスの全製造工程を通して、手作業を使用する工程部分と機械作業を使用する工程部分の比重によってNo.1からNO.8までのカテゴリー(範疇あるいはグループ)に分類する企業格付制度でした。
 手作業による工程部分が多ければそれだけ人件費がかかって製造コストが高くつき、加工度は上昇しますが生産性は上がりません。
 逆に機械作業による工程部分をふやして生産性を上げ人件費を節約すれば製造コストは低くなりますが加工度は上昇しません。
 このように企業の製造コストの高低に逆比例して生産量が上下する関係を利用して8段階の中に紳士用スーツメーカーを分類する制度だったのです。

(4)紳士用スーツメーカー No.1からNo.8まで


 No.7とNo.8は一着づつ手鋏みを使って生地を裁断し機械はまったく使わず手作業だけで紳士服を製造する小規模メーカーです。一着づつ注文を受けてから生産を開始する、いわゆる注文服業者(オーダーメード)で既製服業者(レディメード)とは異なる別個の存在でした。
 No.1メーカーは大工場組織で機械作業だけによってスーツを製造しほとんど手作業を使いません。したがって生産量は年間(1960年代当時)200万着から250万着に及ぶ大量生産企業です。
 No.2メーカーはNo.1とほとんど大差ない製造システムの大量生産型企業です。年間生産量(同年代)200万着未満程度。
 No.3およぴNo.5メーカーはカテゴリー制発足後すぐ他のカテゴリーに吸収されて消滅しましたから、実質的に紳士用スーツメーカーとして活躍し続けた企業はNo.1−No.2−No.4−No.6の4カテゴリーでした。
 No.4メーカーは製造工程の相当部分を機械作業で行ないますが重要な部分については必ず手作業を使用します。なおフィッティングサービスを行なって手縫い作業によるサイズ調整をするのが通例でした。年間生産量(同年代)100万着未満の中規模企業です。
 No.6(ナンバーシックス)メーカーは1反未満の毛織物を手鋏みを使用して一着づつ裁断し縫製工程の大部分を手縫い作業により、ごく一部だけ機械作業を使用する最高級品メーカーです。
 もちろんフィッティングサービスによって顧客が充分満足するまで調整作業を行ないます。年間生産量数千着程度までの能力しかない最も小規模の注文服業者に近いタイプの既製服業者でした。

(5)流通消費市場のカテゴリー制評価


 紳士用スーツメーカーのカテゴリー制は彼等の商品を扱う小売店舗と小売価格に大きな影響を与え、流通消費市場で次のような格付評価を作り出しました。
 1960年当時一着当たりの小売価格は注文服が500ドル以上もするのに対して、秋冬物200ドル以上250ドルくらい、春夏物150ドルから175ドルくらいで、アヴァレッジアメリカンにとっては到底手のでない高級高額商品でした。
 No.4メーカーの製品はイギリス、イタリアあるいは日本製の輸入毛織物を使用する比率が高く中級紳士服専門店で取り扱われていました。1960年当時一着当たりのフィッティングサービス付き小売価格は秋冬物125〜150ドル前後、春夏物100〜125ドル程度でアヴァレッジアメリカンにとっては高級品とされていました。
 No.2メーカーの製品は一般紳士服専門店あるいは大型小売店で取り扱われ、使用生地は主に国産品や日本製毛織物で当時一着当たりの小売価格は秋冬物(ウール100%)90〜100ドル未満、春夏物70〜75ドル未満でフイッティングサービスが必要であれば別途加工賃を支払うことになっていました。
 No.1メーカーの製品はNo.2と同様一般紳士服専門店あるいはギンベル、メーシ一等の大型小売店で取り扱われ使用生地はNo.2と同じで当時一着あたりの小売価格は秋冬物(ウール100%)60〜70ドル未満、春夏物50〜60ドル未満程度、もちろんフイッティングサービスはありません。
 No.4やNo.6のような製造コストの高いスーツは高級紳士服専門店で高級品として、No.1やNo.2のように製造コストの低いスーツは一般大衆向け商品として普通一般の専門店や大型小売店で取り扱われ、カテゴリーにしたがって取引関係が格付されたのです。
 その結果スーツメーカーの所属するカテゴリーに応じてそれぞれの流通段階で消費者に対する小売価格帯(Price Bracket)が形成され、シーズンごとに揃って上昇することになってしまいました。


(6)カテゴリー制の歴史的な意義


 早くから既製服工業で働く従業員の多くは労働組合ACW(Amalgamated Clothing Workers,全米合同衣料労働組合)傘下の裁断工、縫製工、仕上げプレス工等の職能別労働組合に所属して、毛織物工業で労働する紡績工、繊布工と同様時間給による「出来高払い制」によって賃金を受け取るシステムでした。
 ところが職能別時間給による「出来高払い制」によって賃金が支払われていると、多少熟練度は低いが機械生産によって生産性の上がるNo.1とかNo.2のような大量生産型企業で働く労働者は、加工度を上げるために熟練度が必要で手作業で行なう作業量も多くて生産性の上がりにくい中小規模企業(No.4とかNo.6)で働く同種の職能を持った労働者に比べて多の貸金を受け取れることになります。
 同一の職種同一の技能であれば所属する企業や産業とは関係なく平等に賃金を受け取れることを建前とする職能別組合としては、大量生産型企業と中小規模企業との間に不公平な賃金格差が生ずることを何とか解決しなければならない必要に迫られていたのです。
 そこで労働組合側と経営者側(CMA=Cl0thing Manufacturers Association、米国既製服製造業者協会)はすったもんだの議論のあげく双方が妥協することとなり、「カテゴリー制」を設けて企業をその枠内に組み入れることとしました。
(この項次号に続く)

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニ ー(IWSマンスリー連載より)




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