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Ⅶ:ウールとモンゴルの人々

1:平原のウール工房

藤井一義 (マネジメント・コンサルティング取締役)
 馬を走らせて製造したフェルト原反は草原から宿営地に運び込まれて、いよいよゲルを設営するための建築資材や遊牧生活に欠かせない衣類敷物寝具等の加工作業に入ります。
 ゲルの中では食肉の処理や乳製品等の加工も行ないますので、“草原のフェルト工場”に対してゲル周辺の作業を“平原のウール工房”と呼んで差し支えないと思います。

(1):ゲル用建築資材のフェルト

 番傘の骨のような屋根木枠と矢来の柵型をした側壁木枠を一本ずつ縛り付け、まず屋根部分をフェルトで覆い牛皮縄で木枠にくくりつけます。次に側壁木枠にそってフェルトを巻き付けるように縛り付けて一応ゲルの構築は終わります。構築所要時間は5−6人で約2時間足らずの簡便さです。
 木枠とそれを覆うフェルトのサイズはゲルの大きさ、つまり、そこに住む世帯の人数によって決まります。
 高さは居住する人の身長に合わせますが、普通、フェルト原反の幅をそのまま使いますから約2米となります。通常1世帯5−6人標準の冬営地用としてゲルの円周にはフェルト側壁(幅約2米×長さ約5.5米)3−4枚分が必要です。天井の屋根部分のフェルト2枚を合計すると、幅約2米×5−6枚のフェルトでゲル1戸分が賄われることになります。
 フェルトの厚さは地域によって約2−3センチから7−8センチくらいまで大きく変動します。定住期間の長い冬期の防寒防風対策が経験的にフェルトの厚さを決めていると思われます。
 “平原のウール工房”では「物差し」代わりに親指と人差し指の間隔や「挙(たなごころ)」「肘(ひじ)」「両手を広げた幅」で長さや幅を計測します。
 ゲルを構築するためその中で実際に生活する人の身長や人数に合わせて使用資材のサイズを変える考え方は中国大陸を越えて日本に上陸し、大昔の家屋は家長の身長に合わせて柱の長さを加減したと伝えられます。「一咫(ひとあた)」あるいは「一尋(ひとひろ)」と呼んで大工、指物師、あるいは漁師等が材木の長さや海の深さを示す習慣が未だ残されているのです。

(2):毛氈づくりの女性達


 モンゴルの女性達は昼間男性達に劣らぬ労働を続け、夜間貧しい灯の下で衣服、敷物、寝具等を手作りしながら、狭くて暗いゲルの中を「安息の場」にしようと努めています。移動の最中でも彼女達はいつ眠るのか分からないくらい、実に多くの時間をウール工房の作業に割いているのです。
 中央アジアの遊牧民トルクメン族に伝わる諺に“馬のフェルトが良ければ良いほど妻の愛情がある”という言葉があるそうです。馬に乗って走りながら男性的な作業で作られたフェルト原反が、ウール工房の女性達の手で、春に戯れる仔羊や夏の草原を彩る花のような毛氈や敷物に生まれ変わります。
 数千年にわたって母から娘へと伝えられた技法を使って美しい文様を刺繍したフェルトを、彼女達は家族やゲル内部を飾るだけでなく牛、馬、ラクダの背中にもかけて平原の中を移動して行きます。
 ゴビ砂漠に近い地域を遊牧する部族では約2.5センチから約3センチの厚さのフェルトを使って日本畳一畳分くらいのものからさらに小型の毛氈を作っています。ゲル建築用と同じ厚さのフェルトを使いますが、原反を製造する場合に次のような特徴があります。

1.作業前に1日か2日ウールを天日乾燥して油脂分を少なくしておく
;繊維が絡み合いやすいように
2.防風用に綿製小型天幕で作業場の周囲を囲む
;砂塵の混入を避けるために
3.基布にキャンバス(綿製)を敷き棒で叩きながらウールをほぐす。使い古した敷物を使う場合もある;キャンバスの方が牛皮よりも薄くてウールを強く巻けるのでフェルトの地しまりが良くなる
4.ほぐれたウールの積層の両端からゆるくタオルを絞るように大きくねじりながら巻き取って、作業場のそばにしばらく放置しておく
;ウール繊維を絡ませたまま“寝かせ”ておくことによって落ち着かせる
5.ねじり合わせたウールの積層を再び基布の上に解きほぐして並べ、鉄棒を芯にして冷水を撒きながら静かに強く基布とともに巻いて簀巻きを作る
;ウールの積層が薄いから鉄棒の重量による加圧が大きく繊維の絡みを強くする
6.ラクダにひかせて小石の多い平原を走る
;草原を馬にひかせるよりも凹凸が多く、小刻みの震動が多くなりウールの絡み具合が強くなる小型毛氈は小人数で作業し、場合によっては女性ひとりが手足を使ってごろごろと簀巻きを回転させてフェルト原反を作ります。


(3):モンゴルの華毛氈(はなもうせん)


 メソポタミアからモンゴルまで、羊と私達の辿った東方ルートには遊牧民族の女性達が移動生活の中で何世代もかけて繰り返し作りつづけた結果、部族あるいは地域ごとにそれぞれ美しい色彩とモチーフで飾られた毛氈が作り出されました。
 現在儀式や貴賓客を迎える時に使われる緋毛氈に対して“モンゴルの華”ともいうべき文様や柄入りの毛氈を「華毛氈」と呼ぶ方がふさわしい表現と思います。
 歴史的な年代を別にしてモンゴルに創り出された「華毛氈」を、祈祷用や通常の敷物、寝具掛、鞍掛等に施された文様やモチーフを表現する技法の上から分類すると次のようになります。

1.トルコから伝承したといわれる自由画をフェルト原反の上に描いたもの
2.アップリケで動物やモンゴルの人々が好む三角形の組み合わせ(富をふやす意味)や十字形文様を赤色(同じく富をふやす意味) を使って表現したもの
3.現在最も多く使用されているウールやラクダの毛を手紡器で紡いだ生地の毛糸あるいは染色した毛糸で同様のデザインを刺繍したもの
4.ウール(自生地)ラクダ(茶)馬(こげ茶)ヤク(灰色か黒)の毛を自然色のまま組み合わせながらフェルトの上に乗せ、もう一度フェルト作りを行なったもの;スコットランド北部ハイランド地方で作られるウール原色の組み合わせで作ったタータンや北欧の原色使いの模様入りフイッシャーマンスェ一夕ーと同じ構想で柄出しを行なったもの
5.しぼり毛氈;唐時代中国から日本に贈られた東大寺正倉院の御物は中国製ではなくモンゴルで製造されたものと言われており、現在でもモンゴルのどこかで毛氈の「絞り染」が行われているはずです。「絞り染」方式は江戸時代「蒙古絞」と呼ばれて和装に取り入れられ一世を風靡しました。現在衰えつつあるようですが、日本で行われている染色技法は世界最高の水準にあります。
6.嵌め込み毛氈;しぼり毛氈と同様東大寺正倉院に保管されています。染色したさまざまな形のフェルト小片を螺鈿細工(らでんざいく)のようにフェルト生地の中に嵌め込んで仕上げたものと伝えられます。しぼり毛氈と嵌め込み毛氈は現在の技術力でも再現を許さない“幻の華毛氈”といえるのではないでしょうか。


5:草原をわたる「ヨロール」の風

 モンゴルでは遊牧生活の行事や儀式は常に「ヨロール」によって始まり「ヨロール」によって終わります。
 「ヨロール」は「祝詞」(のりと)と訳されますが、「ヨロールチ」と呼ばれる人によって、ちょうど吟遊詩人のように口吟されます。ラマ僧侶が読経をするようなほとんど抑揚のない発声が、長く尾をひいて草原をわたる風の音とともに、澄み切ったモンゴルの空に消えて行く“祈りの言葉”です。
 羊と私達が四季の変化を迎える時、それぞれの季節に伴う「しきたり」の行事や儀式の時、婚礼やゲル新築の時等、事前には順調に成功することを祈願し、事後には無事に終了したことを祝福して、必ずその場にふさわしい叙事詩が物語るともなく唄われるともなく吟唱され馬乳酒が散布されます。
 人や家畜の死に対しては悲しみをもって弔うというよりも、むしろ別世界における再生を願うために捧げられるといわれています。
 口承されてきた叙事詩の内容は地域や部族によって色々あるようですが、雪よりも白い羊や千里を走る青色の駿馬がたくさん増え続けること、いつくしみ深い父や母のこと、古代英雄の勇敢な行動や美しい女性に愛を捧げる想いを感情的な表現や口調を一切抑制して綴られる静かな低い言葉が、風のまにまに響きわたります。その意味では「ヨロール」は“祈りの叙事詩”と呼べるでしょう。
 神霊が四季の推移を大空に伝えて雲を動かし、アルタイやハンガイの山なみを越えて北西風を、ある時は疾風のように、ある時は幼児の頼を撫でるようにモンゴル平原に送り届けます。北西風は冬から春へ春から夏へと川の流れや草の葉をゆすって、羊と私達を草原へ誘い出します。
 やがて神霊は冬の魔神となってシベリア平原から北東風を降ろして草原を老人の白髪のように染めてしまい、ウールのような真白い雪の気配を羊と私達の耳に伝えながら山裾の冬営地へと導いてゆきます。
 神霊の言葉が風の音となり響きとなって、モンゴルの大平原を去来する四季の流れを羊と私達に語りかけ、羊と私達は“魂の叙事詩”を「ヨロール」の調べに乗せて唱和しながら遊牧の旅を果てしなく続けてゆくのです。

註:本稿の作成に際し下記の著書を非常に参考にさせていただき、資料として引用させていただいたことを深く感謝いたします。特に国立民俗学博物館助教授小長谷有紀氏には多大のご教示をいただき、またモンゴル調査に現地滞在を長く続けられた山中裕子氏にはたくさんな資料まで拝受したことを心から御礼申し上げる次第です。本稿にもし間違いがあればすべて小生が文責を負うものです。

1.小長谷有紀著:モンゴル草原の生活世界(朝日選書551:朝日新聞社発行)
2.小長谷有紀・楊海英編著:草原の遊牧文明一大モンゴル展によせて−
  (財団法人千里文化財団発行)
3.張承志著・梅村坦編訳:モンゴル大草原遊牧誌−内蒙古自治区で暮らした四年−
  (朝日選書301:朝日新聞社発行)
4.大内輝雄著:羊蹄記−人間と羊毛の歴史−(平凡社発行)
5.山根章弘著:羊毛文化物語(講談社学術文庫865/820)
6.杉山正明著:モンゴル帝国の興亡下巻(講談社現代新書1307)
7.間野英二著:中央アジアの歴史−草原とオアシスの世界−(講談社現代新書458)
8.富沢木実著:新職人の時代(NTT出版株式会社発行)
9.京都書院:染色の美・1981年春 第10号特集“世界の絞”
10.特別展中近東遊牧民の染織−松島コレクション−(渋谷区立松涛美術館編集発行)

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニ ー(IWSマンスリー連載より)






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