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「レーヌマーク」品質へのこだわり
羊をめぐるミステリー
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「レーヌマーク」品質へのこだわり
羊をめぐるミステリー
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Ⅸ:ウールとピアノ
2:ピアノづくり
藤井一義 (マネジメント・コンサルティング取締役)
19世紀半ばヨーロッパの音楽家やピアノ製作にかかわった工業家あるいは工房の職人達は音楽理論や音響学あるいは力学等科学の進歩の影響を強く受け、資本主義生産体制に入りつつあった鉄鋼金属工業や機械工業あるいは羊毛工業等の革新的技術を伝統的接能に加え、ピアノの構造と機能を格段に進歩させて今日に及んでいます。彼等は近代社会の建設を飾るにふさわしい“美しく豊かな音楽美”を創作する芸術活動と“音楽美”を思うままに表現できる“仕組み=機構”を備えた「ピアノづくり」の生産活動を同時に成し遂げた実に偉大な人々といえます。
19世紀後半期パリやロンドンで開かれた万国博に新興国アメリカ合衆国の工業製品が紹介され、その中でピアノが異彩を放って「ピアノづくり」の生産接術に関する新旧両大陸間の交流関係が深くなってくると、ピアノの市民社会への普及はその国の芸術文化度を象徴する意味を持つようになり、同時に「ピアノづくり」の生産活動は一国の産業経済の先進性を示す工業のひとつとして、国際的なな評価を受けることになりました。
クリストフオリ以来「ピアノづくり」に精魂をこめた多くの市民が胸に秘めた、それぞれの国民性や民族性に応じて“美しく豊かな音の調”を社会の中に創り出してゆこうとする“ものづくり”の基本姿勢が、ピアノの“仕組み=機構”を通してどれだけ彼等の心をつき動かし、どのような行動をとらせたかを追求してみたいと思います。
(1):ピアノらしい音色を求めて
18世紀末頃から19世紀の初頭にかけて巨匠バッハや楽聖ベートーヴェン等優れた音楽家達の独創的な作曲や演奏活動によって、ピアノ独特の音色の素晴らしさがいよいよ認められてくると、ピアノ工業家や職人達は音色の繊細さをさらに精緻に、楽音の幅やヴォリュームを豊富にして、なお一層多声的な響きを実現できないかと思う気持ちにかられてゆきました。
彼等の努力はまず音域の拡大から始まりました。クリストフオリの発明したピアノの「原型」はチェンバロやクラヴィコードと同じ4オクターヴ半の音域でしたが、19世紀前半までに7オクターヴに達し、19世紀末には現在と同じ88鍵7オクターヴ4分の1に達したのです。(註1参照)
音域の拡大への努力は同時に一鍵一鍵の“ピアノらしい音の調”を求めて音量、音質、音色等の要素を思い切り引き上げてゆこうとする意欲をさらに一層強くかきたてることになりました。
彼等は鍵盤につながるハンマーと弦とが触れ合う瞬間にすへての要素が決定されてしまう意味で、鍵盤へのタッチからハンマーの打弦までの“仕組み”(打弦機構)を中心軸においてクリストフオリの発明を土台に発想を展開し、開発を進めたのです。
(2):打弦機構の改革
18世紀以来続いてきたウィーン・アクション(華麗な音色を特長とする“はね上げ”方式)とイギリス・アクション(重厚な和音を持長とする“つき上げ”方式)の対立している中で、1823年イギリスのピアノ代表メーカー「エラール社」が「ダブルエスケープメント」と呼ばれる新機軸の打弦機構を発表しました。
「ダブルエスケープメント」は、鍵盤へのタッチでメカニズムが作動すると平常(つまり鍵盤に何も触れていない時)弦をしっかり抑え込んで振動を止めている「ダンパー」と呼ぶ消音機能が一瞬解放されます。(この状態では弦はハンマーによって自由に振動音を起こすことが出来ます)
一方鍵盤に触れたタッチはハンマーに伝えられて弦を打ち弦が振動音を起こすやいなや、ハンマーは自重と反動で瞬間的こピアノ弦から離れて元の位置に戻ります。ハンマーが元に戻ると同時に「ダンバー」の方も元の位置に戻って、ハンマーによって起こされた弦の振動を瞬間的に止めてしまうのです。
このメカニズムの一連の作動は中音部で僅か千分の一秒か二秒の間に行われ、全く同時といってもよい瞬間に発音と消音とが行われます。したがって、メリハリのきいたキレのよい音色が創り出される結果、同音の急速な連打が出来るようになり音色がよりピアノらしく豊かになって、多くの音楽家から大変な評価を得ました。
音量、音質、音色の革新によってさらにー層ピアノ全体の部品や機構の開発が促進されます。
例えば「エラール社」一社だけでも「ダブルエスケープメント」開発前、音量増大のため低音部のピアノ弦を他の弦と交差させる方式を採用、ダンパーペダルを足踏式に変更、音域、音量増加に伴うピアノ弦の本数増量と弦を張る張力がますます強くなるため、木製フレームを金属製鋳造に変更しています。
さらに「ダブルエスケープメント」採用後すぐハンマーの先端をウールフェルトに転換、ピアノ弦を従来の鋼線から鋼鉄製のピアノ用スティール線に改変する等、ほぼ今日のピアノと同様の機構レベルに到達したのです。(註2参照)
(3):皮革ハンマーからウールフェルト・ハンマーヘ(註3参照)
“ピアノの頭脳”と呼ばれる打弦機構の最先端にあって弦を打ち瞬時に“ピアノらしい音の調”を創り出すハンマーは、ピアノの“脳幹部分”と呼んでも差し支えない機能を果たしています。したがって“ハンマーづくり”は“ピアノづくり”の成否を決めてしまう最も熟練した技能と神経を使う仕事です。
クリストフオリが開発したハンマーは、小さな菱型木片で、弦に触れる部分は軟らかい羊の戌や鹿の皮を「にかわ」で接着していました。音量を増やすため、まず菱形をウエッジ型(スプーン状)にかえましたが、木片の平面で打弦するよりも楕円型の表面の方が増音に効果的と考えたに違いありません。
ウエッジ型ハンマーは、小さい棒状の芯木に厚手の硬いなめし皮を巻くように貼り付け、その上を中間程度の硬さの鹿皮で覆い、その外側表面を非常に軟らかい鹿皮で多い三段の硬度の皮革を重ねていました。
弦を打つヘッド部分の表面は軟らかく弾力性があり、芯木に近い基底部は硬くしっかりしたハンマーを作るのが狙いで、おだやかな弱奏(ピアニッシモ)の場合はなめらかな弾力性が要求され、強奏(フォルテイッシモ)の場合は強くピアノ弦を打って振動音を起こすためにしっかりした反撥性が要求されるからです。
しかし皮革ハンマーには次の問題点がありました。
①:音質、音色が単調でピアノ特有の多声性が不足し、強弱高低のアクセントに乏しい
②:皮革には分厚い部分と薄い部分があるためヘッド部分の軟らかさと弾力性は鍵ごとに違って、音量、音質の不安定さを避けることが難しい
③高音—中音—低音の音域の変化にしたがってハンマーを小型から大型に、ヘッド部分の柔軟性と弾力性もグラデーション(漸次変化)を均斉均質につけるのが非常に困難
④金属弦を打つため耐用性に欠けるとすぐ音量、音質、音色が変化する。また、補修や調律に非常に手間がかかる。
皮革のかわりに毛織物やその他の素材を探す試行錯誤が行われましたが、1826年フランス人アンリ・パペが毛足の長い帽体用ヘアフェルトを使って実験したところ、音色は非常に好評でしたが高音用に薄く切断できなかったので、改めて4分の1インチから6分の1インチまでグラデーションをつけたフェルトを作り直しました。結局1939年ヘアフェルト製ハンマーのピアノを披露しています。
同じ頃アメリカとイギリスではウールフェルトで芯木を覆ったハンマーの製造特許が認可され、次第にウールフェルトの“ハンマーづくり”が広がってゆきました。
(4):アメリカのピアノづくり
1851年万国博に出品されたアメリカ製ピアノは当時のヨーロッパの人々に大きなショックを与えました。
同時に出品されたライフル銃の解体と組み立てが「互換性生産」の典型として紹介され、その背景的基盤になっている鉄鋼金属工業や機械工作工業等の近代化とともに大量生産体制が確立されている実態を知ったからです。これと全く同様の事態がピアノについても発生しました。
当時アメリカのピアノ工業はニューヨークに集結しており、ベルリン、ロンドン、パリのピアノ工業に比較して企業や工場数、雇用人員、生産台数等の生産規模においてほぼ同じレベルに達していました。(註4参照)
しかしライフル銃、コルト拳銃、タイプライター、ミシン等と並んでヨーロッパの人々の眼を見張らせるだけの優れた性能を機械生産する革新的な接術ノウハウの蓄積と生産性に取り組む企業姿勢は遥かにヨーロッパを越えていたのです。
彼等の“ピアノづくり”の特長はハンマーフェルト製造とハンマー接着作業(ハンマーメイキング)の省力化と機械化によってコスト合理化を図る点にますます集約されてゆきました。
フェルトメーカー達は国内産ウールの自然特性を利用して、ピアノメーカーの要求する密度と硬度のグレデーションを備えたハンマーフェルトの工業生産に夢中になって取り組みました。ハンマーフェルトの生産問題は現在もなお“古くて新しいピアノの課題”として日本を含む世界中の先進工業国間で続いています。
(5):ピアノとアメリカの人々
アメリカのピアノ工業が急成長した理由は次のように考えられます。
①森林資源に恵まれピアノの主要素材となるエゾ松やスプルースが無尽蔵にありました。
②開拓直後から木製時計を組み立てた歴史があるほどフィラデルフィアや北東部を中心に家具生産体制が非常に高度の発展を遂げていましたから、釘を使わずに鍵盤楽器を製作する接術ノウハウもヨーロッパ水準を越えるのに時間はかかりませんでした。
③鉄鋼金属_工業、機械製作工業、羊毛工業等ピアノ生産の背景となる諸工業が躍進中でしたから、ピアノ用スティール弦製造や金属フレーム鋳造の技術水準もヨーロッパに決して劣りませんでした。
④何といっても国内市場の成長速度がすばらしく、19世紀後半期における生産消費の伸長度はまさに圧巻でした。
ピアノの普及と生産が勢いを増してくると、ピアノを構成する多種多様の部品生産が分業化し専業化が進みました。業態としては大規模工場生産を行なう少数ピアノメーカーを中心にして鍵盤やハンマーの製造をはじめフレーム鋳造、ピアノ弦の製造、響板製造等を担当する下請け小企業(工房型マニュファクチャー)が衛星状に群生して「互換性生産システム」を構築するようになってゆきます。
アメリカにおけるピアノの認識はヨーロッパとは全く異質のものがあります。ピアノは“一般大衆の楽器”として受け入れられ、他産業と同様当初から国内市場を対象にした工業生産方式を採用しました。
彼等は“美しく豊かな音の調”を新大陸に住むすへての人々に向かって送り出すために、量産とコスト合理化を常に追求する“ものづくり”を念願に活動してきたのです。
ピアノは、客間であろうが酒場であろうが集まってくる人々の人種、国籍、身分、経歴等に一切関係なく、その多声的な響きによって誰の魂でも大きくゆさぶり、心からの叫びを自由に唱わせることの出来る楽器でした。
たとえヴイルトウォーソ(名人)でもなく楽譜ひとつ読めなくても、弾く人の思うままにどんなリズムでもメロディでも創り出してくれるピアノの大衆性と即興性は、やがてジャズを通して20世紀の近代音楽につながってゆきます。
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註1;ピアノを読む本(ヤマハ発行)P64「ピアノの音域の発達」に詳細が説明されています。 |
資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニ ー(IWSマンスリー連載より)
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