【羊毛講座2】ウールを供給する人々【藤井一義】

6.豪州政府のウールマーケッティングプラン

オイルショックを契機にして、既に世界中の経営資源市場で始まっていた”市場構造の変革”は、ウール市場にも”激動の時代”が到来していることを私達にはっきり認めさせるものでした。北半球のウールの需要と南半球のウールの供給を、今までどおりの”自由競争の市場原理”に任せておいては、相場価格の急変と低迷のために牧羊業も製造加工業も安定した経営をつづけることは到底難しいことを強く危機感として持つようになりました。

(1)AWC(豪州羊毛公社)の活動

1963年頃から豪州政府主導で南北間の国際的な議論に多くの時間と労力が使われてきましたが、結局政府によるウール市場の管理政策が実施されることになり、1973年豪州羊毛公社(略称:AWC)が設立されました。

①牧羊業者の利益を保証して安心してウールの生産がつづけられるように最低支持価格制度(フロアプライス制度)を実施する。
②羊の血統種の改良、飼育条件の改善、出市準備のために科学的なテスト資料を整備し近代的な品質管理手法を指導して、牧羊業者の労働コストや物流費用を合理化する
③国際羊毛事務局(略称:IWS)と提携して、北半球消費市場の製造加工業者や流通業者あるいは一般消費者に対して技術支援やマーケティング活動を積極的に展開することによりウール需要の促進を図る。

以上のような管理政策によって先ず生産業者をはじめ関係業界のウール市場に対する信頼性を取り戻そうと計画しました。そして、これらの活動に必要な資金は、牧羊業者の販売代金に課せられる賦課税(ウール税)と政府の援助資金によって賄われることになったのです。

(2)最低支持価格制度(フロアプライス制度)

南北の間で多くの議論と折衝が繰り返された末、1974/1975年度シーズンから「最低支持価格制度(フロアプライス制度)」が導入され、1991年廃止されるまで17年間も続くことになりました。「最低支持価格制度」とは、ウールシーズンの開幕に先立って羊毛公社が、繊度(ミクロン)別に市場介入を行なう予定価格を公表しておきます。もし競売市場の相場価格がこの市場介入価格近くまで落下してくると羊毛公社が競売市場からウールを買付けて在庫するので出市量が減少して、相場価格は持ち直します。もし相場価格が急騰すると、この買い上げた在庫をその都度適量放出して出市量をふやし相場価格を下げることによって市場安定をはかろうとする制度でした。やがて世界的に「複合不況」がやって来て繊維製品市場の価格変動や需要構造の変化が繰り返され繊維間の競合が益々深刻化して行くにつれてウールに対する需要は減少につぐ減少で相場価格は低落をつづけたのです。したがって、毎シーズン羊毛公社の買い上げ在庫は溜まる一方となり、1990年を終わる段階で一年分の出市量とほぼ同量の在庫が繰り越される状況になってしまいました。そこで1991年4月にはついに「最低支持価格制度(フロアプライス制度)」を廃止して市場介入を止め、ようやく昔の自由市場に戻ることになったのです。このような事態になったのは、牧羊業者達がウールの需給関係を無視して毎シーズン公表される「支持価格」を「目当て」にしてウールの増産に走った為であることは明らかでしたが、市場相場は政府や関係業界のいろいろな努力にもかかわらず決して回復しようとはしませんでした。