【羊毛講座5】ウールとアメリカの人々【藤井一義】

5:20世紀前半の既製服工業

20世紀に入ってアメリカ合衆国への移民が世界中から殺到しました。昔の契約移民のように農地が与えられる保証もなく、ただ合衆国へ行けば夢がかなえられると信じて移住してきた彼等の多くは上陸地に近い都市の底に沈澱するように下層労働者となり、ニューヨーク市のような大都会は種々雑多な「人種の」街となっていました。

一次大戦から復員してきた兵士達と共に当時の若者達の心をとらえて離さなかったのは自動車と既製服スーツでした。彼等は一方で自動車や既製服を生産する労働者となって所得を稼ぎ、一方では自動車や既製服の消費者となって戦後の消費ブームを起こす原動力となったのです。

19世紀の互換性生産の“開花”がライフル銃なら20世紀の互換性生産の“花形”はフォードT型単でした。黒一色のフォードT型単に乗るアヴァレッジ・アメリカンが着用する既製服スーツはクラシックな黒ないしはオックスフォードグレイでした。

徹底した簡素化と合理化によって通常2000$以上もする乗用車を850$の値段で販売したのですから爆発的な売れゆきになったのは当然です。当時のアヴァレッジ・アメリカンはヨーロッパの貴族などよりもずっと自由にフォードT型車を乗りまわすことが出来ました。

自動車工業の繁栄はそのまま既製服工業や繊維工業の膨大な消費市場を作り、それ以来自動車の販売台数が合衆国の景気動向を示す重要指標となりました。「自動車と既製服の国」と言う言葉がアメリカ合衆国を代表するキーワードとなったのです。

一次二次両大戦をはさむ20世紀前半のアメリカ既製服工業の示していた容姿は一体どんなものだったでしょう。

(1)互換性生産との相違

ライフル銃やフォードT型車の互換性生産には人手だけでは到底作り出せない高い精密度の部品を機械生産できる良質で均質な「鉄」を素材として利用できたことが決定的な要素となりました。

従来「やすり」等の道具を使って“すり合わせ”作業をしながら部品を生産し製品を組み立ててきたのに代替して、互換性生産方式では非常に精密な部品が生産できるので殆ど“すり合わせ”作業は省略されてしまいました。しかもこの方式によって手作業よりも遥かにすぐれた性能の製品が生産性高く(はやく、大量に、安く)製造できるようになったのです。

既製服の素材となる毛織物は水と熱に対して収縮する“ウールの特性”を持っているので、毛織物の織り方や仕上げ方法あるいは生産工場や企業によって微妙に変化します。従って鉄や金属のように素材原反のどこをとっても均質でしかも精巧な部品が生産できると言うわけにはゆきません。

さらに武器や自動車の互換性生産を実現するためには旋盤等の専用機械と製品の精密度を測定できるゲージ(計測器)や道具を全工程に並列し配置して、いわゆる「機械加工の生産ライン」を編成することが必要条件です。

しかし既製服の場合裁断機やミシン、アイロン等の専用機械、あるいは道具が揃っていても生産工程の局部に使用されるにとどまり、部品生産も組立生産も「機械加工の生産ライン」を編成すること等到底出来ないわけです。

(2)生産性と加工度

既製服の生産工程は部品であれ組み立てであれミシン作業の出来る部分と出来ない部分とにどうしても分かれます。特に上着の「肩入れ」(前身ごろ、後身ごろ、袖の三部品を肩のところで縫いあわせる紳士服生産の最も重要な組立作業)のように、たとえどんなに精巧な部品が揃っていたとしてもミシンではどうにもならない「手縫い作業」が絶対に必要な箇所が残らざるを得ません。

ミシンではどうにもならないとは、手作業で要所要所を“ウールの特性”を生かしながら作り上げなければ、高い「加工度」つまりウールらしいソフトな感じを保ちながらきちっとした端正な「出来栄え」と者やすい「機能性」をそなえた紳士服が仕立てあがらないという意味です。

結局既製服生産においてミシン(機械)を使用できる部分だけは「生産性」が上がるけれども製品全体の「生産性」にはあまり波及しないし、「加工度」がバラついて低くなる傾向は避けられません。

手縫い作業を行う部分は注文服生産で理解できるように「生産性」は低いけれども製品全体の「加工度」を高くすることが出来て微妙なバラつきでも補正できる利点があります。毛織物を素材として紳士服を縫製する限り「生産性」と「加工度」はどうしても避けられない二律背反の関係が出来てしまうのです。

彼等は「加工度」こそウールキャラクターによって形成される紳士服の基本的特性であると考え、先ず毛織物素材の色相、形状、品質が一定の許容範囲内に安定していなければ生産工程中の二律背反する関係を均衡させることは出来ないことを学び取りました。

(3)アヴァレッジ・アメリカンと紳士既製服

20世紀に入って今日でも有名な“アメリカントラディショナル”と呼ばれるスーツスタイルが出来上がりました。“ナチュラル
ショウルダー”と言われる襟から肩にかけてなだらかなシルエットを特長としています。ヨーロッパの紳士服が一般に肩パッドを入れて軍服のような「いかり肩」を強調するのに対して、彼等は肩パッドをはずし”ナチュラル”自然のまま)な「肩入れ」をした方が、がっしりとした肩幅や胸の厚みを強調できてアヴァレッジ・アメリカンの男性的なシルエットに最も適していると考えられたのです。

彼等はウールのナチュラルな特性である「縮充性」を利用して蒸気アイロンで「肩入れ」を行い、ウールの付加価値を高める工夫をこらしたわけです。

スーツスタイルの次に彼等は互換性生産へのアプローチとしてサイズ規格を作りました。19世紀初期、既製服生産のためにアヴァレッジ・アメリカンの人物像を画いた頃よりも20世紀の市民社会は人種、体格、風俗習慣、嗜好等がますます複雑多岐になっている人口構成の中で、彼等は徴兵時の身体検査資料を使用しました。

アヴァレッジ・アメリカンの体格を身長、体重、胴回りの基本要素で構成される「組み合わせ」によって「標準サイズ」として表現し、肥っている人、痩せた人などを「標準サイズ」の変数として紳士服のサイズ規格を作り上げたのです。

かってフランス革命時まで、衣服を作る人(職人)衣服を看る人(貴族やブルジョア)衣服を売る人(商人)の三者が身分制度上分離独立していた旧大陸と比較すると、合衆国では三者が「サイズ規格」を共有することによって完全に“アヴァレッジ・アメリカンの紳士服”が数値として出来上ったわけです。

(4)手繰り検反

(註1参照)

アメリカの既製服工業の特長は互換性生産への準備工程として手繰り検反と縫製加工の最終工程として着用テストを必ず実施していたことです。

手繰り検反は一人の検反工の完全な手作業によって毛織物原反の形状、色相、品質に異状がないかどうかを一反ずつ全数検査し、適格と認められた原反しか次工程への生産投入をしない一種の「脚切り関門」を目的とする検査システムです。

したがって手繰り検反は欠陥品を次工程へ先送りしない原則に基づいて行う品質管理のための検査ですが、工程投入後に発生する生産性阻害要因を事前に出来るだけ排除しておき形状、色相、品質の安定した原反素材を揃えて裁断工程以降へ送ることによって縫製工程全体の生産性を維持しようとする目的を持っています。

かつてニューヨーク市が“紳士服のナショナルセンター”と呼ばれた頃、近郊の生産業者から“セントラルショップ”と言われる物流倉庫に集荷された織物原反が、一種の公認裁断師(ヘッドカッターあるいはピースマスターと呼ばれる親方職人的存在)の裁量と指示によって適品が選択され生地に裁断されたうえ下請縫製業者に配布されました。

公認裁断師は“セントラルショップ”傘下の下請縫製業者の技術や能力の特長を平素からよく認識して、縫製業者の選択や縫製工程の決定に絶大な権限を持っていたといわれています。
(註2参照)

既製服工場の検反工はこの公認裁断師の役割を実質的に継承していたことになります。

(5)アメリカ産業革命と既製服工業

着用テストは縫製仕上がりの複製品を小売店舗や貯蔵倉庫へ発送するまで、通常上着は全数検査、ズボンは抜き取り検査を行います。製品の「出来栄え」が当初設計企画していたイメージを充分表現できているかどうかを実際に検査工が着用して確認し、同時に付属部品の欠落や製品全体のバランスについても検査します。

着用テストはさらに「着やすさ」つまり着用して運動するのに快適であるかどうかの機能性の面からも入念にチェックします。

手繰り検反は一人の検反工が自分ひとりの視覚と触感によって原反素材を検査するのに対し、着用テストは通常必ず着用しながら加工度(付加価値)をチェックする人と同時にそれを外側から見ている人との複数の検査工の判断で加工度の評価を下すのです。

工程投入前に行う手繰り検反も最終工程に行う着用テストも、人間の手によって営まれる作業ですから、「機械生産」と言う考え方には逆行しているうえ両方の作業は製品の「加工度」には全く関係しません。

しかし一見非合理的に見える両方の作業を縫製工程の前後に必ず配置したことは、毛織物を素材ベースにおいて既製服を生産する場合「生産性」(機械生産)と「加工度」(手工業生産)の接点を何とか追求しようとした彼等独自の企業努力を如実に物語っています。

二次大戦後両方の検査方法は、既製服に対して一種のアレルギー体質をもって注文服よりも低級視していたヨーロッパの既製服工業に受け入れられました。国際ブランドとして著名なイタリアのGFTセッチモ工場やGFT−AMERICAのリバーサイド工場において“アメリカン
システム”として大いに注目を集めました。
(註3参照)


註1:手繰り検反
縫製工場に入荷した織物原反をロール状に巻き取り、棚の上からテーブルの上に垂らします。検査場は出来るだけ北側から一方光線(自然あるいは人工)が入るようにして、検査工(熟練工)は両手で上から下へ2−3ヤード毎に手繰りながら視覚と感触で原反の形状、色相、品質を検査します。検査項目として形状とは原反の巾長さが揃っていること、原反のたるみ、ゆがみ、組織の崩れ破損疵等を留意します。色相とは原反の両端と中央部分、2−3ヤード毎に手繰った部分同士の色柄の相違、むら等の異状、品質とは伸張度、強度、スリップ等を手作業でチェックします。なお検反工の判定は工場長も拒否できません。

註2:セントラルショップ
森杲著 アメリカ職人の仕事史−マスプロダクションヘの軌跡−(中公新書1328)p96:衣服製造—機械化よりも安くあがる女性労働—を資料として使用させて頂きました。

註3:イタリア既製服工業の導入
Diamond ハーバード・ビジネス:‘92/3(ダイヤモンド社発行)p102
ロバート・ハワード/平野和子訳「イタリア・アパレルメーカーGFTの実験:デザイン企業のグローバル化デザイン」に掲載されています。

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニー(IWSマンスリー連載より)