1:ピアノの系譜
ピアノは容姿そのものが“音楽美”を表現している芸術作品です。
演奏会場や大広間におかれたグランドピアノは、漆黒のシルクドレスに身を包み真白に輝く真珠のネックレスをつけた“楽器の女王”と呼ぶのにふさわしい存在感を示しています。そして今すぐにでも“美しい音の調”を溢れるような豊かさで私たちにひびかせてくれることを思わせます。
ピアノは近代的な設備機械と製造システムを整えている工場で生産されている工業製品です。
しかもピアノは独特の機構(メカニズム)によって他の楽器では真似できない独自の「音色」を演奏者の思うままに生産(創造)する楽器です。
ピアノはたしかに工業製品ですが、ひとたび演奏者が鍵盤にふれるとそのアウトプットは、聴く人の感性に対して“無限の音楽美”を現実の音として訴えることが出来る工芸製品なのです。
ルネッサンスにつづくバロック時代以降学術、文学、建築、美術、音楽等あらゆる分野でヨーロッパ市民社会が目ざましい発展をとげた近代文化の潮流の中で、ピアノが生まれ育った社会環境がどのようにピアノの機構や機能に影響を与えたか、ピアノがどのように社会体制と関わっていったかについて系譜をたずねたいと考えます。
その目的は“音楽美”の象徴とも呼べるピアノを“ものづくりの視点”から考えてみたいからで、ピアノの中に埋もれてほとんど私たちの目にふれることもない「ハンマー用ウールフェルト」が神秘的とも言えるほどピアノ独特の機能を果たし、ピアノの「音色」そのものに決定的な関係を持っていることを強調したいからです。
(1)ピアノの出現をめぐる社会的背景
ピアノはバロック時代が最盛期に入った18世紀の初めイタリアに出現し後半期産業革命やフランス革命を経過しながら、徐々にヨーロッパに普及して19世紀には音楽史上“ピアノの世紀”と呼ばれる時代をつくりました。
さらにピアノの発展は古典派音楽からロマン派音楽の中心的役割を占め、近代市民音楽の基礎を築くのに大きく貢献しています。
バロック音楽の主要な担い手のイタリアは、当時オーストリアやフランスの支配下にあって、多くの天才芸術家や「ヴイルトウォーソ」と呼ばれる作曲家や器楽演奏の名人、あるいは「マエストロ」と呼ばれる建築、美術工芸関係の名工職人たちが他国の絶対制君主や経済力のある金融商業資本家の元で音楽専門家としての処遇を受けていました。
彼らは宮廷音楽の担い手として音楽理論の整備や新しい展開、作曲方法、演奏形態、楽器制作等を大きくしバロック音楽を確立しました。もちろんピアノの普及や演奏方法あるいは制作技術に重要な役割を果たしたことは言うまでもありません。
ルネッサンス以降生活水準の上昇、宗教革命等の影響で既に市民たちは芸術をはじめあらゆる文化活動の分野で、民族性や国民性に基づく独自性を発揮していました。
彼らはピアノの“美しく豊かな”ひびきにすぐ魅了され、室内楽からピアノを主体にした合奏曲や交響曲へ楽曲の形式や演奏形態が大きく変わり多声化されてゆきました。
バロック時代を通して音楽文化の華は劇場の建設とオペラ音楽によってはなやかに開花しました。宮廷音楽は劇場に向かって開放され、一般市民は劇場で王侯貴族や富豪とともにピアノソナタやコンチェルトを鑑賞し、外国人の名演奏に感動することが出来るようになりました。
宮廷音楽に専従していた音楽家たちは、オルガンにしてもチェンバロにしても今まで自作自演していたのが作曲家と演奏家とに分化し、器楽音楽が声楽音楽よりも優位に立つようになりました。
楽譜印刷の普及とともに楽器ごとに専門化された曲種、音楽語法、演奏様式等が確立していったのです。ピアノの出現を契機としてヨーロッパの音楽文化は“美しく豊かな音色”を求める市民の手によって驚異的な革新と発達を遂げました。
(2)フィレンツェのピアノ
毛織物工業の町フィレンツェで富豪「メディチ家」の楽器保管係でチェンバロ制作の職人バルトロメオ・クリストフォリが、新型「ハンマー・メカニズム」を発明して今日のピアノに組み込まれている打弦機構の原形ができました。
指で鍵を押すと、その力がそのまま「ハンマー・アクション」に伝わって先端に取り付けられた木製ハンマーが跳ね上がってピアノ弦を打つことによって音を発するメカニズムで、当時最も良く使用されていたチェンバロの「ハンマー・アクション」が弦を爪状の鉤で引っかくことで音を発するメカニズムとは、全く違った「音色」を作り出したのです。
同じ鍵盤楽器のチェンバロやクラヴィコードとピアノの相違は
①;ハンマー・アクションのメカニズム:クラヴィコードはハンマーが弦を下から突き上げることによって音を発しますが、その音は小さくデリケートで優雅なことが特長です。チェンバロも音は弱く鍵を強く押しても音量は単調で変わりません。
②;ピアノの「音域」は格段に広く拡大され、「音色」が多声的でしかも豊かな音質になりました。(註1参照)
③;強奏(フォルテ)と弱奏(ピアノ)とが演奏者の思いのまま表現できる上、強弱の中間的なニュアンスが表現できるので、ダイナミックで多声的な「音色」がさらに自由自在に演奏できる容易さは実に劇的な発明でした。
大聖堂のパイプオルガンに劣らないくらい豊かに荘厳にひびく「音色」から、ポローニャの丘を渡って春を告げるの軽やかな「音色」まで自由自在にきこなしたいと思うクリストフォリの熱い願いは、同僚の楽器専門職人や音楽師たちの胸を強く打ったに相違ありません。
それよりもクリストフォリの近所に住んでいて、いつもは他の弦楽器や家具を作っている木工職人や金工職人が寄ってきて、弦の張り方を議論したり大空を翔ぶ大鷲の翼そっくりに板を造形して、思い切り力強く共鳴させることを夢見ながら「響板」を磨いたことでしょう。(註2参照)
平素はウールフェルトや毛織物で帽子や衣服を作っていた仕立て職人や馬具や靴を作っていた皮革職人たちが、鍵盤の動きを瞬時にハンマーに伝える仕掛けをあれこれ工夫しながら「アクション・メカニズム」の設計図をひいたに遠いありません。
クリストフォリの願いをこめたピアノは、やはり作曲家や演奏家あるいは楽器制作職人とともにヨーロッパ大陸を北上してゆき、結局18世紀後半から19世紀に入る頃になってようやくパリ、ウィーン、ロンドンで大きく開花することになります。したがって発明以来ピアノの真価が実際に認められるまで約半世紀から一世紀近い期間を要したことになる訳です。
(3)ピアノ生産の国際競争
バロック時代を終わる頃までピアノはチェンバロやオルガンと併行的に使用されるにとどまっていたのですが、楽聖ベートーヴェンが現れてから俄然、ヨーロッパの舞台の中心に位置することになりました。
18世紀中葉から既に産業革命の洗礼を受け世界一の工業国として他国をリードしていたイギリスにとって、ピアノ生産は恰好の対象となりました。同時に、古くから鉄鋼や鋳鋼技術の進んでいたドイツにとってもピアノ生産は容易に受け入れられる所となり、やや遅れて19世紀初頭から新興国アメリカも加わってヨーロッパの音楽史上19世紀は“ピアノの世紀”と言われる時代を生産面から支えることになります。
ピアノ生産の国際競争の中心問題はやはりピアノ本来の「音色」を決定づける打弦機構に集中して、まずウィーンのメーカーとロンドンのメーカーとの間でハンマー・アクションに関する論争が起こりました。
ウィーンメーカーを代表するストライヒャー社の「はね上げアクション」は敏感なタッチで、軽快な美しい音質を特長とし、ロンドンを代表とするエラール社の「突き上げアクション」はタッチが重く重厚なひびきと音量を特長として、両者の間に激烈な議論の応酬と技術革新の競争が他社を巻き込んで長く続いたのです。(註3参照)
結局1880年代になって、ドイツからアメリカに企業移転していたスタインウェイ社が、両方の特色を綜合した新型ピアノ製造に成功してむしろヨーロッパのメーカー達を圧倒してしまいました。以来ピアノの工業生産はさらに激烈な国際競争の時代に突入しました。
クリストフォリ以来、ピアノが“美しく豊かな音色”を作り出すためには、音を発する打弦機構と音を伝える共鳴機構とを常にバランス良く維持することにピアノ生産の焦点が絞られてきました。
しかしピアノが“手づくり”生産から工業生産に移されてから、いかにして機能的にピアノの芸術価値を高めながら同時に生産性を高めるかについての非常に困難な“ものづくり”の課題に到達していると考えなければなりません。
註2:饗板;ピアノの共鳴機能を果たす木製板。ハンマーがピアノ弦をたたいて発音された振動音を共鳴させて人間の聴覚に快適に伝える重要な部品。
註3:エラール社;元来はフランスのピアノメーカーでしたが、フランス革命によってイギリスに企業移転し、イギリスアクションとウィーンアクションの両方の長所を取り入れることに努力して19世紀中イギリスの代表的ピアノメーカーでした。
詮記:本稿作成に当たって下記著作を参考文献とさせて頂きました。もし間違いや誤解があればすべての文責は私にあります。あらためて心から感謝申し上げる次第です。
★絶対王制の時代:前川貞次郎著;講談社現代新書315
★市民革命の時代:豊田尭著;講談社現代新書316
★ライフ世界史・啓蕃の時代;タイムライフインターナショナル出版事業部発行
★ライフ世界史・ルネッサンス;同上
★メジチ家の世紀:クリスチャン・ベック/西本晃二著;白水社文痺クセジュ636
★音楽美入門:山根銀二著;岩波新書
★音楽の基礎:芥川也寸志著;岩波新書
★バロック音楽:皆川達夫著;講談社現代新書
★ピアノの誕生:西原稔著;講談社選書メチエ
★ピアノを読む本:株式会社ヤマハミュージックメディア発行