【羊毛講座7】「絡み合い」の構造と機能【藤井一義】

1:フェルトの三次元構造

西アジアや近東では紀元前の昔から、ルビー(紅玉)や琥珀を溶かしたように透き通ったワインを醸造するため、葡萄の「しぼり滓」をウールフェルトで濾過していたと伝えられています。

私達が今日使っている英語の辞典には“filter”(濾過する)の説明に、ラテン語の“filtrium”(濾過する)という言葉が“felt”(フェルト)の語源になったことが記載されていますが、ウールを縮絨して布状(fabrics)にしたフェルトを毛氈や敷物にしていたのと同じ時期、既に濾過布として使っていたと考えられます。

歴史的にみるとフェルトは羊と私達とが共同生活を営むようになるとすぐ、ウールを加工して作られた一番最初の製品と推定され、その後に続いて糸を紡ぎ縮んだり織機にかけて毛織物や絨毯が作り出されたと想像されます。

いつの時代でも、どこの国でもウールといえばまず真白でソフトな感触を想像し、美しい色彩やデザインの衣服あるいは敷物を思い浮かへるかもしれませんが、ワインを醸造するときに使った濾過布のフェルトはおそらく原色のままで何の変哲もない平板なウールの「固まり」に過ぎなかったに違いありません。

しかし濾過布に使用したフェルトはウール繊維の特性を利用して「機能」としての付加価値を創り出す“ものづくり”の原点を弘達に指し示しているように思われます。

その意味でフェルトの構造や機能からウールと私達の関係を“生産の原点”に立ってもう一度見直したいと考えます。

(1)フェルト生産の歴史

フェルトは私達が生産したウール製品の中で最も歴史的な、しかも最も原始的なものでありながら、形状や品質を変えないまま、現在も身近な日常生活の中で使用されています。

その理由を考えてみると、女性や子供でも手元のウールや獣毛あるいは汚染した原料や毛屑等の下級原料を使ってを揉んだり叩いたりしていると割合簡単に繊維同士が縮み合って、粘土のように色々な形が作れる性質(造型性)があることを大昔から知っていたからです。

さらに帽子や靴のように毛織物ではなかなか覆い切れない不規則な凹凸のある身体の表面を、フェルトを使えば割合簡単に覆うことが出来るし、その上型崩れがしにくいため肩パッド、抱芯等衣料縫製の副資材として使われてきた結果、西ヨーロッパのフェルト工業では常にギルド職人達に黒子的存在として毛織物工業や服飾衣料工業の背景的役割を果してきました。

しかしフェルトの工業生産の歴史的頂点に立つ出来事は18世紀初頭イタリアにおけるピアノの発明です。

ルネサンス以来西欧文化の精髄といわれる交響楽がピアノの発明によって全世界にひびきわたることになり、今日のような音楽文化の華が咲いたのもピアノの「音調」をウールフェルトと金属弦が創造したからです。

現在、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆団、日本等の先進工業国のピアノメーカーと連繋する楽器用フェルトメーカーは、小指でも操作できる小片のフェルトでありながら、ウール以外の素材では到底代替できない「音調」を生み出すノウハウを備えた独自の生産市場を形成しています。

ワイン醸造用濾過布にはじまったフェルトの機能性追究は、1527年アンドリュー氏がフィルターとして、1612年ウッドール氏が医療用フィルターとして、さらに1890牛ドイツで「バッグフィルター」として工業生産を行なった史実があります。(註1参照)

フェルトの用途開発による機能性追究の努力は20世紀に入って近代資本主義工業の世界的発展とともに急速な製品需要を促進し、後半期に入って合成繊維の開発とともに繊維素材、製品市場の両方で想像もしなかった工業用資材としての展開が行なわれて今日に及んでいます。

(2)フェルト製造の特色

従来から毛氈・敷物・衣服関連用に使われてきたフェルトも、最近工業資材用に開発されているフェルトも厳密には圧縮フェルト(プレスフェルト)と呼ばれており、織フェルトと区別されています。(註2参照)

最近の日本におけるフェルト工業の実態から見ると、圧縮フェルトは用途開発を進めてウール以外の繊維を使用したり、組織構造や製造方法に対する考え方を急速に広げています。したがって、毛糸や毛織物に対する「フェルト」の概念はプレスフェルトや織フェルトあるいは不織布(ノンウォーヴン)までを包含して考えるようになってきました。

最近のフェルト製造の特色を工程別に見ると
[仕様設計];フェルトの使用目的となる「機能性」をはっきり規定して、「機能性」に対応できる組織構造、たとえば幅・長さ・厚さ・重量・耐久性・形態等に関する仕様企画を設計してから製造に入ります。要求されるフェルトの構造と機能が工業用として規格化されていたり、あるいは部品として機械器具の中に組み込まれるため、形状・構造・機能が厳密に特定されるようになったからです。

〔原料の選択〕;たとえばウールのキャラクターのような繊維の種類別特性、繊維の細さ(繊度)や繊維長の選択とこれらの組み合わせによる調合割合は繊維間の縮み合いによるフェルト化にとって最重要の役割をもっています。

[カーデインク];原料ロットごとに繊維を梳いて毛先の方向を揃え、篠状の積層(ラップと呼びます)を巻き取ります。

[ハードニング〕;水蒸気を与えたラップをハーダー(上下の鉄板にラップを挟んで「もみ作用」を行なう機械)の加熱された下鉄板の上に敷き並べます。長い繊維のラップの上に短い繊維のラップを重ねたりあるいはラップを重ねる方向を変えたりして、何重にも積み重ねたラップの重層を作ります。

「もみ作用」によって起こる「厚さ」方向への絡み合い効果を高めるためです。

ラップの重層の上に鉄板を乗せて重層を上下から挟む形で加圧し、同時に全体をゆするように震動が与えられます。この「もみ作用」によって繊維を「厚さ」の方向に絡ませてフェルト化を促進します。

[縮絨];縮絨助剤・水蒸気・ローラーのジグザグ運動による震動・圧力によって「もみ作用」をさらに強め、所定の収縮率までフェルト化を進めます。

[洗絨];縮絨助剤を中和して原反を洗うことによってフェルト化を一層緻密にします。

[乾燥・プレス];加熱して濡れた原反を乾燥させ、収縮している幅を設計値まで「幅出し」し、プレスによって「厚さ」をセットしフェルト化をこの段階で固定します。

モンゴルの草原に馬を走らせて作られる勇壮な毛艶の製造方法も、コンピューターによって自動化を進めている日本の工場におけるフェルト生産も結局ウール繊維に水分・熱・振動や衝撃・庄力の4条件を与えて「もみ作用」によるフェルト化が原則的手法となっています。
しかし一方で現在のフェルトに求められている要請は、もう既に廉価で良質の「汎用品」ではなくなってきているのも現実です。

したがって、これからのフェルト生産市場はフェルト独特の繊維の縮み合い構造と機能を他の異種工業製品と連結させたり適合させたりすることを絶えず行なう過程の中から新しい機能を創造し開発することが出来るだろうと期待されています。

(3)絡み合いの構造特性

−「空隙」と「細孔」−

フェルトの断面を顕微鏡で見ると、何ミクロンといわれる細いウール繊維が複雑に人り組んで、結ばれたりまといついたりして縮み合っている部分とそうでない部分、つまり絡み合った繊維と繊維の間に空気の入った隙間の部分(「空隙」と呼びます)とで構成されています。

従ってフェルトの構造と機能との関係は単位体積中に含まれるウール繊維の「絡み合い部分」と「空隙部分」の関係がどのようになっているかによって決まってきます。

まず両方の体積比を見ると、繊維部分の体積は単位体積のフェルトの重量をウールの比重(1.32)で割った数値ですから、その残りの体積は空隙部分の体積となります。

フェルトの単位体積中に占める空隙部分の比率のことを「空隙率」と呼びますが、通常のウールフェルトの「空隙率」は約50%から約65%といわれますから、フェルトがウール繊維の集合体といっても構造の中身は半分以上が「空気(流体)」で占められていると考えて差し支えありません。

体積の半分以上も空気を含んでいて触るとふわふわしているフェルトの三次元構造を支えているのは、ウール繊維の絡み合った部分です。ウールがフェルトの中で絡み合ったまま充填されている程度を「密度」という言葉で表現して、単位体積中に充填されている繊稚の体積量を示しています。

「密度の高いフェルト」といえば、単位体積の中で繊維がぎっしり強く絡み合っている部分が多いことを意味しています。そして逆に空隙部分が少ないことを意味していますから「空隙率が低いフェルト」となります。

「密度の低いフェルト」といえば、単位体積中に繊維の占める部分が少なく「空隙率が高いフェルト」になるわけです。したがってフェルトの「密度」は常に「空隙率」に反比例する関係に立っています。

フェルトの空隙部分について考えると、空隙は繊維と繊維とが絡み合うことによって作られたごく細長い「細孔」と見なすことができます。「細孔」とはフェルトの内部でどんな形に折れ曲がっていようとも、空気やワインのような「流体」が流通できて、必ず入口と出口がなんらかの形でつながっている細い口径の「孔」のことです。したがってフェルトの構造を「細孔」という点から見れば、「多孔質構造」をもっている繊稚の集合体と定義できるわけです。

(4)密度と細孔

細孔の構造を変えることによって、このフェルトの多孔質構造をなんらかの用途に機能させようとする場合は、フェルトの単位体積中に充填されている繊維の絡み方を緻密にするかルーズにするか、つまり密度をどうするかが問題になります。

密度を高くする(繊維の絡み方を緻密にする)ためにはより細い繊度のウール繊維を多数使用することによって単位体積中により多くのウールを充填させることが出来ます。

このような緻密な絡み合い構造を細孔の側から考えると、今までよりも細い繊度の繊維同士で出来る細孔は口径が今までよりも小さく(より狭く)細孔の出来る数は今までよりもたくさんになります。したがって、たとえ細孔の口径は小さくなっても細孔の数が増えていますから細孔の壁の面積の総和は今までよりもかえって大きくなります。

多孔質構造を利用して流体が細孔の中を通過する流れ方(濾過作用)や流体を保持したり押し上げたりするような機能(保温・防音・毛細管現象など)を持つ構造を設計する場合には、繊維の種類や繊度とその特性、フェルト構造の密度と空隙率、細孔の口径等が重要な要素になるわけです。

では、どうしてウール繊維はこのように三次元的な絡み合い方や多孔質構造を作ることが出来るのか、次号で研究してみましょう。 註1:日本フェルト工業株式会社上阪茂美氏論文による(1991年11月5−8日第1回日中分離フィルター会議において発表)
註2:織フェルト:毛織物の表面をフェルト状に整理加工した製品です。特殊なウール原料を使ってしっかりした厚手の毛織物を製織し、整理工程で極眼まで縮絨しますが、その間表面に出てくる毛羽を刈り取る作業を繰り返し、伸縮性の非常に少ない、表面がまったく緻密にフェルト化した特殊な毛織物です。印刷用輪転機の基布として紙幣印刷用に使用されました。ピアノのハンマー機の軸受けとして使用されています。