【羊毛講座3】ウールを製造加工する人々【藤井一義】

4.イギリス商業資本と毛織物生産

羊毛商や毛織物商は商業資本として常に二つの面を持ちながら活躍していました。対外的には貿易業者として広く海外市場を対象に羊毛原料や毛織物を販売し、やがて世界の頂点に立つところまで発展を遂げましたが、対内的には毛織物を国内市場の商品生産者から購入する商人として毛織物工業をイギリスの輸出工業の代表にまで位置を押し上げたのです。

このような二つの面を持った毛織物商達の行動様式を総合すると、まさしくイギリスの経済政策の根幹となっている重商主義の具体的なイメージが私達の眼の前に浮かんできます。彼等は国内市場の中にある輸出工業としての毛織物工業を振興するために毛織物の販路となる海外市場を獲得し、同時に広い海外市場の中で国内の輸出工業のための原料市場を確保しました。例えば羊毛、綿花、銀、銅などがそれにあたります。

結局彼等の掲げた重商主義政策は国内の毛織物工業の繁栄が直接の目的でこの繁栄を通して国内市場を活性化し国民経済力を高めてゆくことが終局の目的だったのです。

しかしながら毛織物商をはじめ多くの貿易商人達が当時未だ成熟していない国内の毛織物市場の中で、ウールを実際に製造加工して毛織物を作っている職人や手工業者達とどのような交渉関係を持ちながら毛織物を調達したかを見ることによって、結果として重商主義政策がタイムリーに成功し国内市場が完成された史実の背景となっている事情の中にうかがえるイギリスの毛織物工業と商業資本の特質との関係を確かめることにしたいと考えます。

(1)毛織物取引の実態

14世紀前半期の頃、まだイギリスとしては羊毛輸出が支配的で毛織物輸出への転換政策が行なわれる以前の段階で、イングランドで一般的に行なわれていた毛織物の取引を見ると、羊毛原料商はまず牧場へ出かけて羊毛を買い付け国内市場や海外市場へ販売するのが主要な仕事でしたが、その傍ら多くの家庭労働者や職人に羊毛を前貸し毛糸や毛織物(未仕上げ反)を製造させた後、出来高に応じて工賃を支払いました。

そして毛織物(未仕上げ反)をそのまますぐ海外市場へ輸出するかあるいは国内で委託加工賃を支払って染色、縮絨、仕上げをさせた後、輸出ないし国内販売することによって利潤をあげるのが通常の仕事だったのです。

註1:文献資料参照
毛織物取引の実態資料:大塚久雄著作集第3巻論文:農村の織元と都市の織元(P355)における諸資料参照

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニー(IWSマンスリー連載より)

(2)カンパニー(ギルド組織)の綜

本来は羊毛原料を取引する羊毛原料商が副業として毛織物の取引を行なっていますが、現実の問題として14世紀半ば頃のイングランドにおける商品流通や貨幣経済の波は、すでにこのような形でカンパニーという名称のもとにギルド組織が作り上げた既成枠を越えようとしていたのです。

商品経済が都市や農村の中で次第に活発になって行くのに従って、ギルド組織は都市や都市外のいわゆる農村と言った地域によって商売や手工業の業態が違ったり、あるいはギルドの成員資格が世代交替したり譲渡されてゆく間に身分関係や仕事の従属関係に変化が起こるのを規制することが出来なくなってしまいました。したがって取り扱う商品(例えば毛織物とか胡椒とか香料とかの商品)の種類や取引形態が変化の上に変化を重ね、ギルド同士が複雑に絡み合いながら分化統合を繰り返してゆきました。

それに加えて本来王朝から許可された独占権や特権も追加承認や例外措置が重なってゆく間に、権利と権利との間や旧特権と新特権とが角(つの)を突き合わせるようになって、業種間やギルド組織間の境界線も曖昧になり錯綜した状態になってしまったのです。そこで商人達は結局財力と権力を武器にして、ひたすら利潤を求め商権を追いかけていたのが実情でした。

16世紀に入ってマーチャント・アドベンチャラーズ組合のように独占権や特権が改めて認可され、外国資本のような親争者が排除されて、国内海外両方の毛織物市場が急速にそして広汎に拡張し、カンパニーの収益力や金融力がどんどん蓄積されてゆくと、毛織物輸出をはじめ認可された業務以外にも活動の場を広げて、別に高利貸付を専門業務としないまでも、行政分野や地域社会に対して財力による専制支配的な姿勢や行動をとったりあるいは権力による市場独占的な活動方向をたどってゆくのを止めることができませんでした。

(3)前貸制による委託生産

羊毛原料商のような商業資本が行なっていた毛織物の取引は、商人が商品生産者に対して毛織物原材料(羊毛原料や毛糸)を前貸することと毛織物の製造を実際にウールを製造加工する商品生産者に対して委託する点に取引の重点があります。

商人が家庭労働者や毛織物を製造加工する職人(商品生産者)に対して原材料を前貸してから製品(毛織物)が出来上がるまでの間、つまり商品生産者側から見れば彼等が労働し毛織物を生産している間全く無報酬で、自分の生活費は自分で賄わなければなりません。

商人は通常羊毛原料を馬車に積んで村の一定の場所まで運搬し、商品生産者は自分の手で家庭や職場に運んできて、毛糸や毛織物が出来上がれば商品生産者自身が商人のところへ運んでゆきますから、商人はただ毛織物が製造されるのを待っているだけで出来上がり状態を検品した上加工賃を支払って取引業務は終ります。

商人は家庭労働者がいつも使う手動の紡錘機も繊布工の職人が使う毛織機ももっていないのが通常です。毛糸や毛織物を生産するための製造用具や手工業用の労働用具は全部商品生産者の所有物で、もちろん作業を行なう現場は商品生産者の所有する職場ですから、結局商人は何も持っていないと言うことです。彼等商人は商品生産者に毛織物の製造加工に関する限り何から何まで全部委任して、ただ出来上がってきた毛糸や毛織物に対して出来高に応ずる加工賃を貨幣で支払うのに過ぎないのです。

つまり商人自身は全く生産行為を行なわず、作業手順、方法、職場も持たないので毛織物の生産には全く参加していないのです。ただ原材料の前貸を行なうことと加工賃を支払うことでいわゆる商業資本として機能しているだけですから、私たちは彼等を問屋機能を果たしている純然たる商業資本と呼ぶことができます。

(4)下請け制度

商人からの委託を受けて毛織物の製造加工を受託している商品生産者側から言えば、商人は「雇い主」で商品生産者は「下請け」という雇傭関係が成り立ちます。商品生産者(下請け)は商人(雇い主)の言う通りの毛織物、つまり前貸された羊毛原料や毛糸で出来る程度や範囲の−指示された以上の品質水準でもなければそれ以下の品質水準でもない−毛織物を作ればよいことになるのです。何故なら商人は製造方法はもちろん労働の仕方、作業の手順、用具の使用法等には一切関与しないからです。

このような雇い主(商業資本)と下請け(商品生産者)との関係の中で毛織物の製造が行なわれていましたから14世紀前後の毛織物生産の実態を工程順に見ると次のようなものでした。

1.ウールの選別工程(羊から刈り取られたままの脂付羊毛を適品と不適品とにより分ける手作業)から紡毛工程(洗い上げた羊毛を紡いで毛糸を製造するいわゆる製糸工程)までほとんど家庭婦人や児童等の家内手工業を使ったので、劣悪な労働環境下で不当とも言える低賃金で作業が行なわれるいわゆる「膏血労働」がその後長期にわたって走者してしまいました。

それでなくても悪質の商人は出来上がった毛糸や毛織物の品質を不当に評価したり、重量をはかる秤(はかり)の目盛りをゴマ化したりして弱い立場の家庭労働者を冷遇したりしたのです。
2.製織工程以降、染色、縮絨、仕上げ工程等は婦人や子供では到底処理できない重労働とある程度の設備が必要なことがある上、それ相応に修練を積んだ技術水準が必要なため、職人ギルドに属する成年男子が自分の職場で自分の織機や設備を使って毛織物を製造加工しました。

製織工程は製造工程の中で最も中間に位置しているため、一番中枢を占めるいわゆるキー・ステーション的な工程となり、織布工は商人から製造依頼を受託する時の受け皿としての役割をつとめることになって、それ以降染色や仕上げ等の諸工程も繊布工に生産管理を委託することが多かったようです。

したがって商人達は家庭労働者や職人を相手に採算上の損得だけで毛織物の品質などはお構いなしに加工賃を安く叩いて購入することを狙いとしていました。

(5)イギリス商業資本の特質−結び−

15世紀に入る頃イギリスの羊毛商や毛織物商等の商業資本が行なっていた毛織物の取引と生産の上にあらわれている彼等の特質は結局次のようにまとめられると思われます。

1.王朝政府や貴族等のすぐ傍に位置して国家政策あるいは独占権、特権を背景にもつギルド組織を『よりどころ』に他のギルド組織やライバルはもちろん商品生産者に対しても常に利己的排他的に行動し独占支配を狙った利潤獲得を目的に行動していること。

2.国内取引を見れば分かるように毛織物を取り扱う商人としては常に毛織物の生産を基礎にしてこそ活動できる立場に立っているのに、商人対職人あるいは雇い主対下請けとして商品生産者を対立する関係に持ち込んで場合によっては隷属視していること。

このようにイギリス商業資本の特質は、かつて「美しくて艶のある毛織物」でヨーロッパ産品を代表していた北部イタリアや長い間イギリス王朝の奥深く食い入っていたハンザ都市の商人達の行動にあらわれている性格とあまり変わらない、いわゆる「前期的商業資本」と呼ばれるものでした。

しかし自営農民層が次第に経済力、政治力をつけて封建制度による土地や身分制度を根本から揺り動かしてゆくのにつれて、小親方達もますます毛織物マニュファクチヤー(産業資本)の独立性をたかめながら経営規模を拡張してゆくようになると、これらの中産的生産者層とマニュファクチャーの姿が都市と言わず農村と言わず国内市場の全面に強く押し出されて来ました。

元来旧体制や特権に依存するだけの「前期的商業資本」はその「よりどころ」を失うと、ちょうど「根無し草」のように色褪せた存在となってしまいます。それでも毛織物マニュファクチャー(産業資本)との間に色々さまざまな対立抗争関係を引き起こしますが結局彼等は産業資本によって圧倒され消え去るべくして消え去ってしまいました。

ここで私達は視点を商業資本から産業資本に移さなければなりません。いよいよ私達は毛織物マニュファクチヤーの経営管理者でしかも実際にウールを製造加工した人々の立場に立ってイギリスの毛織物工業の本質に触れてゆきたいと思います。

註1:
毛織物取引の実態については大塚久雄著作集:第2巻近代欧州経済史序説:第2綿毛織物工業を支柱とするイギリス初期資本主義の展開(岩波書店発行)を資料にさせて頂きました。参照して下さい。)

資料提供:ザ・ウールマーク・カンパニー(IWSマンスリー連載より)